
つくる が生まれるまで Where Making Begins
CASE 01|建築家 乾久美子|横浜美術館リニューアルプロジェクト
2025年、横浜美術館は大規模なリニューアルを経て新たな姿を見せている。
その中心にあるのが、TANGE建築都市設計による建築空間の再構築と建築家・乾久美子さんが手掛けた「じゆうエリア」。美術館の象徴ともいえるグランドギャラリーを核に、誰もが自由に過ごせる空間を目指し、什器(家具)が新たにデザインされた。
そして、この「じゆうエリア」の什器を手掛けたのがdacだ。本インタビューでは、建築家・乾久美子の声を通して、dacとのリレーションを振り返り、dacが新しく掲げるステートメント「Wood, Works, Wellbeing つくるの先まで、考えて、つくる。」の本質についても触れていく。
横浜美術館のリニューアルに課せられた“柔らかな空間”
横浜美術館は、建築家・丹下健三による設計で1989年に開館した。バブル期を象徴するようなポストモダン建築であり、御影石をふんだんに使った重厚なデザインが特徴だ。しかし近年、美術館の運営はより開かれたものへと変化しつつある。時代の移り変わりとともに、子どもが騒いでも咎められず、訪れる人が思い思いに過ごせる運営が求められるようになってきたのだ。横浜美術館の建物自体の威厳や格式の高さがある一方、来館者が自由に過ごす雰囲気づくりにはいま一歩力が及んでいなかった。ゆえに乾さんは「柔らかな空間」を目指すことにした。

建築はそのままに、家具によって空間の雰囲気を一新し、現代の美術館にふさわしい「コモンズ(共有空間)」をつくること—— そんな着想からリニューアルプランが組み立てられていく。「私のものでもあり、みんなのものでもある」と誰もが感じられる場所、それが乾さんの考えるコモンズであり、今回「じゆうエリア」が向かった先だ。市民や来館者が自分の居場所と感じ、自然と集い、交流が生まれるような空間が求められた。



乾久美子とdacの出合い
新木場という立地に、都内最大級の木工場を有する。都心でこれほどの規模の製作現場があること自体が珍しく、それは乾さんにも魅力的に映ったという。大規模でありながら、検査や打ち合わせで現場に足を運びやすいこの環境は、今回のような公共性の高いプロジェクトに最適だったのだ。



色と触感へのこだわり
「今回の什器デザインで最もこだわったのは、色でした。丹下健三さんが使った御影石には、モノトーンのグレーから赤みを帯びたものまで、5色ほどのバリエーションがありました。これらの石の色を抽出して、空間と調和するオリジナルカラーを什器に採用しようと考えたんです。既存の建物の雰囲気を壊さず、それでいて新しい柔らかさを感じさせるために、既製の色見本帳にはないカラーリングをdacの塗装部と開発しました。最終的には11色もの組み合わせが生まれ、自然光の下で石と什器が互いを引き立て合う空間を作ることができたんです」
さらに、この家具の「触り心地」にも徹底的にこだわったことは特徴の一つだ。
「来館者が直接手に触れる椅子やテーブルは、怪我をしないように、また心地よく感じられるように、こちらは木工部の職人さんが何度も仕上げを重ねてくれました」
こうした細部への配慮が、空間全体のやわらかさと安心感につながっていくのだろう。乾さんは改めて、dacのものづくりの姿勢について振り返る。
「dacさんには、ただ規模が大きいだけではない、ものづくりへの情熱と柔軟な対応力があったと思います。打ち合わせ室にはスタッフが試作したユニークな椅子やサンプルが転がっているんですけど、“こんなの作っちゃいました”と楽しそうに話す姿が印象的で。どうしても私たちデザイナーは、ときに“これ本当に作れるの?”という無理難題を考えてしまう存在だと思います。ですから、前向きにチャレンジし、解決しようとする意欲には、とても信頼を寄せてしまうんです」


乾久美子が語る「つくるの先まで、考えて、つくる」
dacはリブランディングに際し、「Wood, Works, Wellbeing つくるの先まで、考えて、つくる。」という新たなステートメントを掲げた。
乾さん自身もまた「建築や家具を設計する際、必ず“使う人”の姿を想像する」と語る。単に形をつくるのではなく、ある人の営みや社会の豊かさまでを見据え、コモンズとしての空間の役割までを見据えてデザインする。


「ただ使うというよりは、その使っている姿が何かコミュニティを生んだり、人とのコミュニケーションを作っていたり、“人と人の繋がりを作っている”ということを想像することがあります。私はかねてから建築を通して、何かコモンズのようなものを作りたいと言っているんですけれども、そういう意味では、つくる先に何か絆みたいなものを作りたいと思っているのかもしれません」
「つくるの先まで、考えて、つくる」という姿勢は、まさに乾さんの設計思想と響き合う。作り手が自ら楽しみ、使う人のことを考え抜いてものづくりをする。その積み重ねが、空間に温かみや居心地の良さをもたらし、訪れる人々の新しい体験や交流を生み出していくのだろう。

乾久美子 | 1969年大阪府生まれ。東京藝術大学美術学部建築科卒業、イエール大学大学院建築学部修了。青木淳建築計画事務所を経て、2000年乾久美子建築設計事務所設立。2011年より東京藝術大学美術学部建築科准教授、2016年より横浜国立大学大学院 都市イノベーション学府・研究院 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。主な作品に、「延岡駅周辺整備プロジェクト 延岡市駅前複合施設 エンクロス」(2020年日本建築学会賞(作品)、2020年グッドデザイン金賞など)、「宮島口旅客ターミナル」2021年第13回JIA中国建築大賞2021一般建築部門奨励賞)、京都市立芸術大学・京都市立美術工芸高等学校*、横浜美術館リニューアル(空間構築、サイン計画)など。 *は共同設計の作品。 |